試行錯誤が積み重なった今日の京料理(新造一夫)

試行錯誤が積み重なった今日の京料理

2014年6月27日

京料理「畑かく」 新造 一夫

畑かく

畑かく

日本料理と京料理とは、私は同義語ではないかと思います。決して地方の郷土料理ではありません。平安建都以前、京都は大小の川が流れ小さい村が点在する盆地でした。護王神社の祭神、和氣の清麻呂が狩りの途中で見つけていた所で、清麻呂の進言により桓武天皇が都を山背の国(京都)に遷都されました。とまでは知られた話ですが、造営の時より京都の町の人口が急速に増えたと考えられます。

建都時の人口は10万人~15万人、きっと日本で一番急激に人口が増えたことと思います。

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人が集まれば食料も必ず必要になります。地方に領地を持つ身分の高い人や使用人は何とか飢えをしのげたかもしれません。天皇以下高貴な人達には山より鹿・猪の肉・木の実。海より乾物。畑より穀物・野菜など日本各地より献上物があり、食のルートが形成されてきました。ただ造営時に集められた農民や人夫達は、都の周辺部で農地を開墾していったと思われます。百数十年程で都は火災・飢餓などで衰退し、右京の地域が内野になったようです。住民は都の中を耕し始めました。たぶん人口と造営の時の都の広さが大き過ぎたのかもしれません。

OLYMPUS DIGITAL CAMERAこの時代の宮廷料理は、現在の神饌(神様のお供)に近い。平清盛の浜離宮などは海運・貿易の事もあるが海の新鮮な魚介類が食べたかったのではないかと思います。

鎌倉時代になってくるとお茶や薬膳料理が入ってくる。武家の本膳料理、お寺の精進料理と時代を経ると、お茶の懐石料理が確立してくる。秀吉以降の商売も盛んとなり、一般庶民も琵琶湖の淡水魚が商われるようになる。

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江戸時代には出町には若狭物。上の棚(現在の椹木町)下の棚(現在の魚棚)具足小路(帝より錦小路命名)この三店は、元来湧水があり、淡水の魚を生きたまま保存できたので、魚屋ができ、そして八百屋も店を構えるようになった。大阪より三十石船により乾物の魚が入り、かつぎの魚・大阪より走って持ってくる魚(生では難しいので湯引き・酢で絞めた物)、和歌山から鰹節、北前船の昆布など、京都のおいしい水、この時代から調理も確立して京料理の原型が出来上がる。

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おいしい出汁、白味噌、お酢なども加わり京料理が確立される。

京都は食材が乏しく、全国より食材が集まって来る風土がある。

長い間王城の地であり、良い食材を見抜く目と舌、それらを買える財もあり、調理技術を試行錯誤し積み重なって今日の京料理に繋がってきたと思います。shinzo04

これらの時代背景があったからこそ、和食を代表する京料理ができ、その歴史の担い手としてこれからも食に携わりたいと思っております。

新造一夫氏

新造一夫氏

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